「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.19:勇気をほめたたえる社会環境づくり

  心肺蘇生法の実技講習会では、最後の30分間に「今、あなたの愛する人が目の前で倒れました。さあ、どうしますか」と参加者に叫び、参加者全員の前で一人ずつ心肺蘇生法の実技をやってもらうことにしている。参加者同士、和気あいあいと練習している時は何とか順序を間違わずにできても、いざ人前でやれと言われた時、前に出ていくには勇気がいるものである。
  平成2年当時、校内暴力が絶えなかったある高等学校の新入生オリエンテーションに心肺蘇生法を教えに行った。講習会の終わりに、200人が一体の練習用ダミー人形を取り囲む円陣の中、「友だちが倒れた。救うのは誰か」と叫んだ時、即座に人形に飛び込んで行ったのは3人の生徒のみであった。一人は先生方が当然助けに出ていくだろうと期待されていた生徒であったか、もう一人は以前から問題のあると思われていた生徒であり、この意外性に先生の方が驚いた様子であった。
  この時、私は「人間には学習能力、運動能力には差はあっても、勇気は一人一人に平等に与えられている。みんな勇気あるこの3人を心からほめてあげようではないか」と言った。ともすれば生徒を一定の尺度で評価しがちな現在の学校教育の中で、もっともっと勇気のある行動をほめたたえる環境が必要ではないだろうか。3年間毎年、新入生に心肺蘇生法を通して人の命を救うことを教えたが、校内暴力が無くなったのはいうまでもない。
  「福祉の心とは何ぞや」。この言葉は貝原兵庫県知事に心肺蘇生法の県民普及のもう1つの目的を説明した時、申し上げたものである。福祉の心とは、人の命の尊さを知る心である。人の命の尊さは、言葉で教えられるものではなく、人の命を意識し心肺蘇生法を学べば、体験学習の中で感覚として人間の心の中に浸透していくものである。
  目の前で人が倒れた時、思わず反射的に一歩ふみ出し「だいじょうぶですか」と言えるのが、もうすでに福祉の心を身につけた人である。ドアを開ければ後に入ってくる人がいないか、後を振り向く心遣い反射運動である。アメリカでは、人と目があえば思わず「ハイ」と声をかけることも、人とすれちがう時に身体が触れないように歩き、少しでも身体が触れたら「すいません」と言う習慣も無意識に行う反射運動である。
  日本では人の好意に対してあまりにも感謝の言葉を言い過ぎるように思われる。電車やバスに高齢者が乗ってきたら、何も言わずに反射的に席をたてる人が自然である。感謝の言葉を相手から聞いていい事をしたと思う人は、相手と自分とが平等の立場でないことに気づくべきである。相手から感謝の言葉を期待するのではなく、活動そのものに喜びを感じられなければ真のボランティア活動とは言えない。
  「命を大切に、あなたも心肺蘇生法を」。兵庫県は平成2年度から心肺蘇生法の普及県民運動を5年計画で展開し、目標の100万を越える108万人の講習を達成することができた。これは突然死に対する救命率を上げるためだけでなく、お互いの命を守るには県民一人一人の社会参加が必要である。21世紀の少子高齢社会を迎えて、われわれ一人一人の命に対する意識革命がますます必要になってきている。

 続く

Copyright(c) Tsuyoshi Kawamura, M.D.