「あなたは愛する人を救えますか」
河村循環器病クリニック 院長
河村剛史

Vol.28:アメリカで学んだ緊急時のパニック・コントロール

  私が1985年9月にカルフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)医療センターに胸部外科スタッフとして就職した時、大学事務局からの採用に当たって多くの書類にサインしなければならなかった。この中で、CPRカードのコピーの提出が求められていた。アメリカでは、公的機関に勤める職員には毎年CPRカードの提出が義務づけられていた。当時の日本では、心肺蘇生法を修得した証明書は日本赤十字社の講習会受講後の証明書があったのみで、大学当局に問い合せたとこところ、CPRカードはアメリカの心臓協会(AHA)の発行のものでないと駄目と言われ、CPRカードはアメリカで取得することとした。
  アメリカには仕事の準備も兼ねて8月に出発した。早速、書類関係を仕上げるために大学事務局を訪れたところ、午後にアメリカ心臓協会(AHA)のCPRの試験があるので大学のAHA事務局に行くようにとの指示があり、何も分からぬまま事務局に行った。事務局では、日本の心臓外科医なのでCPRテクニックはOKと思うので午後のCPR試験を講習会なしに受けてくださいとAHAのCPRガイドブック(Basic Life Support)を受け取った。CPRガイドブックの内容は、成人、子供、幼児に分けて手順が詳しく書かれており、東京女子医大での心臓手術後の心停止患者に行っていた救急のABC手順(日本での知識はこの程度)とは比較にならないものであった。
  初めてCPRカードを取得するには、講義を受けた後に設問試験があり、50問の設問の内、85%以上の正解者が実技試験を受けられることになっている。いきなり設問試験を受けたとはいえ、日本の心臓外科医が不合格では国の恥と緊張したが、幸いに常識問題で安心した。次に実技試験になって、非常に驚いたことは、20人ほどの受験者(UCSD医療スタッフ)が一人づつ参加の前で訓練人形を使ってCPRガイドラインに書かれている手順通りに声を出しなら行うことが出来るかテストされた。まさか、書かれている手順通りにやらなければ合格できないとは思っておらず、最後尾に移って自分の番になるまで前の人のやり方を必死に覚えてどうにか合格することができた。アメリカでの最初で最後の緊張した思い出である。
  心臓外科医という仕事柄、日常業務で遭遇する病院内の心停止患者に対しては従来から言われている救急のABC手順で問題はなく、むしろ救命に自信もあった。しかし、一般市民が始めて心臓突然死患者に遭遇した時、まず、パニック・コントロールが必要である。パニックの発生の原因は、その場に居合わせた人達がバラバラで、無統制の行動を行う場合である。100人が100人とも同じCPRを修得しておれば、その場で統一された行動パターンが瞬時に生まれ、パニックの発生を抑えることになる。
  CPRの手順は頭で理解することではなく、身体で覚えることである。当時の日本では、やり方を言葉で教えることが多く、実際に訓練人形を使ってやってみる訓練法は、訓練人形の絶対数の不足もあり行われていなかった。アメリカで学んだCPR手順を一連の動作として身体で覚える方式は、日本に帰ってスポーツウェアを着て、スポーツ感覚で講習会を行った理由である。CPR練習には訓練人形一体につき、10人の受講者単位で行うことが重要である。お互いに声を掛け合い、実施者が間違っている時には声で注意しあい、気軽に練習が出来る明るい、笑い声が出る明るい雰囲気づくりも大切である。実際の救急現場では、より熟練したCPR修得者が積極的に交代することが求められる。
  講習会の最後には、人形一体を中心に円陣を組み、一人づつ前に出てCPRを行い、救命に飛び出す勇気を試す機会にもなる。また、CPRを知らなくても、助けようと大声で助けを呼ぶ人間愛を訴え、完全にCPR修得していなくても、次なる救命者のリレーする役割の大切さを訴える。その場のすべての人が一致団結して救命に当たる環境づくりがもっとも有効な救命手段である。

  続く

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